こんばんは、そうるです。
すっかりめっきり寒くなって、最寄り駅に着いた瞬間、電車の外に出るのが億劫で仕方ありません。
小説のストーリーが、むちゃむちゃ「イイトコロ」だと尚更です。
まあ、降り過ごすわけにはいかないので渋々降りるわけですが。
…決められた時間以上にずるずると読書してしまわないのが、通勤読書のイイトコロだと思います。
お風呂入りながら読もうものなら、読み終わるまで入ってて、逆に体冷え切ったりしてむちゃむちゃ後悔しますからね…。
さて、今日読み終わったのは
「向日葵の咲かない夏」@道尾秀介
【あらすじ】
夏休みを迎える終業式の日。先生に頼まれ、欠席した級友の家を訪れた。きい、きい。妙な音が聞こえる。S君は首を吊って死んでいた。だがその衝撃もつかの間、彼の死体は忽然と消えてしまう。一週間後、S君はあるものに姿を変えて現れた。「僕は殺されたんだ」と訴えながら。僕は妹のミカと、彼の無念を晴らすため、事件を追いはじめた。あなたの目の前に広がる、もう一つの夏休み。
【ひとこと抜き出すなら】
物語をつくるのなら、もっと本気でやらなくちゃ
【感想】
物語っていうのは、小説とかドラマとか大層なものじゃなくて、
「自分が信じて見ているもの」と、「実際の世界」との整合性をどれだけ保つか、ということだと思う。
客観的にはゆるぎない事実でも、それから眼を反らすのなら、いんなる理由であれ、それ相応の覚悟をしなければならない。
現実を見つめることは勇気がいることだ、とはよく言われるありふれた言葉だけれど、現実を見ない、というのもまたそれ相応の覚悟がいることなのだと思った。
例えば自分の心の平穏のために、「自分はクラスのリーダーで人気者だ」と信じる。そうでありたいと願い、そうでない自分は許せないから。たとえクラスのみんながどれだけ冷たい視線を自分に向けようと、クラス委員に誰も推薦してくれなくても、それでも現実を見ないで、「自分は人気者だ」と信じ、そうあろうとすることは、一見滑稽なようでいて、とても覚悟がいることだと思う。
「自分はこうなのだ」と、他の誰でもない、自分自身が誰よりも信じるのだから。
まぁ、実際の本編は、こんな難しい話じゃなくて、ちょっと不思議な小学生と、現実にはあり得ない設定が一つだけ紛れ込んだ夏休みと、友達の死体が作り出す摩訶不思議物語。…ホラーじゃないけどちょっと怖いです。
ミステリと呼ぶにもホラーと呼ぶにも、でも「一風変ってる」と付けた方が間違いない1冊。
私はすごくおもしろいと思ったけれど、人によって明暗が分かれそうな作品でもあるかな。
2010/02/03
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